「・・・・・・。」



あたしはただ、その目の前の出来事を黙視することしか出来ないでいた。






それは心臓が脈打つことも忘れてしまうくらい、

衝撃的な事が目の前で繰り広げられていたから。









緑が生い茂る7月。
青々した葉が弱い風にかすかになびく。空はカラッと晴れていて雲一つない。


あたしは日直日誌を広げ鉛筆を握り絞めたまま遥か遠くを眺めていた。
このまま意識と共にどこかへ飛んでいってしまえばいいのに。
馬鹿なことを考える。





「はよーっす!」






目の前にできた影と聞き慣れた声に、あたしははっと我に返って視線を右上に移した。


その声の主はにっこり笑ってみせる。




「・・・はよ、水谷。」


「はよ!!」




あたしは朝練を終えた水谷の笑顔が好きだ。
朝一番に見れる笑顔は胸を高鳴らせる。
眩しくて、かわいくてこっちまで自然と笑顔になる。




でも今日は


今日は目を背けたいくらいこの笑顔に会いたくなかった。






「・・・・・・あれ、もしかして今日俺ら日直?」


エナメルバックを机の横に引っ掛けながら水谷が言った。

あたしは小さく頷く。


「うん。」

「マジで?」

「マジで。」

「うわ〜すっかり忘れてた!マジごめん!!」



パンッと気持ちのいい音を立てて彼は手を合わせ頭を下げる。




あたしと水谷は隣の席。
だから日直の日が同じ。
いつもは朝練を終えた水谷が廊下でバッタリ先生に遭遇して日誌を渡されたり(つまりただ単にあたしが取りに行き忘れるパターン)
二人で一緒に取りに行ったりと、あたしが一人で取りに行く事はなかった。





なぜか






それは単純な理由。





水谷と一緒に行きたいから。



ただそれだけ。
ほんのわずかな時間も彼と笑ってふざけていたいから。
だから水谷が先生に遭遇する以外は自分では取りに行かない。








でも今日は

違う。
あたしはまたゆっくりと日誌に視線を落とした。





「日誌取りに行った時なんか持たされなかった?」

「学校便りだけだから大丈夫だよ。」

「そっかぁー・・・マジでごめんな!!」

「そんな謝んなくていいって。大丈夫だよ。」



申し訳なさそうにする水谷に少し笑ってみせる。




大丈夫
あたしはいつも通り


そう自分に言い聞かせながら。







「・・・・・・。」



「何?」



落ち着いた声にあたしは水谷をチラッとみる。



水谷の眉がわずかに動く。

神妙な表情にドキリとした。







「なんかあった?」



「・・・・・・っ!」




ドクン、
おおきく一度心臓が脈打った気がした。
体が固まる。
その言葉と同時にフラッシュバックする昨日の光景。
全身から汗が噴出しているような気持ち悪さ、なんだか背筋が寒い。





「・・・・?」


水谷の心配そうなあたしを呼ぶ声に、
気持ちを押し込めるようにしてぐっと下唇を噛み締めた。









「別に、何もないよ。ちょっと具合、悪いだけだから。」






あたしは





「えー!!大丈夫かよ!!なんか元気ないなって思ったから!」

「ダイジョブダイジョブ。今日は大人しくしてるつもりだしね。」

「まぁ無理すんなよ?それにしても、珍しい!が風邪引くなんて」




上手く笑えてる?




「うん、まあこれであたしは馬鹿じゃないってことだよね!」

「あはは!言ってる場合かって!とりあえず荷物とかはなるべく俺取りに行くし、お大事に。」




いつも通り?





「さんきゅ。水谷も、その残念な脳みそ、お大事に!」

「・・・心配してやってんのにぃー!」




水谷




「アハハハハ。」






君にだけは気づかれたく、ないよ。








少しだけ、時間が欲しい。
昨日の今日なんていくらあたしでも動揺せずにはいられないから。






授業中、先生が教科書を読む。

一応教科書は開いて文字に目は落としているものの何も頭に入ってこない。
文字を認識することもできないくらいあたしの頭は機能の出来事でいっぱいになっていた。

瞬きをするたび、その一瞬の暗闇の中に浮かぶのは

小さなか細い体にさらさらの長い髪。ちょっとだけ茶色がかっていてキューティクルが綺麗に出ていた。
くりっとした丸い目に長いまつげ、小さな唇、それと同じくらいに紅潮した頬。
守りたくなるような、そんな感じの女の子。あたしの前の前の席の同じクラスの子だった。

その子の視線の先には、
困ったように眉をハの字にした水谷の姿があった。





「あたし、水谷君が、好きなの。」


ドア越しに聞こえたくぐもった声。
ちょっと忘れ物をなんて思ってとりにいったらこんな現場に遭遇するなんて思いもしなかった。


偶然。
立ち聞きする気なんてなかったのにその場を離れられなかったのはあたしがいつからか水谷に想いを寄せていたからだと思う。
ドクンドクン
心臓の音が聞こえた。
やばい。
多分あたし、アノ子よりも緊張してるんじゃない?
そう感じるぐらいに脈打つ心臓がうるさく感じ、息を呑んだ。






「付き合ってください。」



水谷は右手でぽりぽりと頭をかきながら一言

「ごめん、な、さい。」


とつぶやくように言った。




よっしゃ。
悪いあたしがニヤリと笑う。
その子には申し訳ないけどあたしはほっとしていた。
この後ばったり遭遇したりなんかしたら気まずいにもほどがあるからと思い、あたしはスッと見えないように隣のクラスに身を潜めることにした。
ドアに影ができないようにゆっくりと身をかがめ、そーっと隣のクラスに足を踏み入れたときだった。





「俺、好きな子いるから。」








自分の耳を疑った。

息も出来なくて、
心臓も止まった、そう思った。



二人が教室を出て、パタパタと階段を下りていく音が聞こえても、
あたしはしばらくその場を離れることが出来なかった。
お尻に接着剤が付いたみたいに、そこに張り付いたみたいに、動くことが出来ない。



水谷、好きな子、いたんだ。

ショックだった。
いつか自分を見てくれるとか、そんな自信はかけらもなかったし、アノ子みたいに告白する勇気もなかったけど。
ただショックだった。
好きでいることすらも、許されないといわれているようなそんな感じ。

あんなにかわいくて、いい子そうな子からの告白も断っちゃうくらいに好きなの?
そんなに、その子が好きなの?
あたしは友達としてもし水谷から相談をうけたらはたして真剣に悩んであげられるだろうか、
もし告白が成功して付き合うことになったら笑って喜んでやれるだろうか、
あたしは


立ち直れるのだろうか。




教室の壁にしゃがみこんだまま静かに泣いた。








?おーい、〜?」

「けぇえ!?お、あ、水谷。」

「ぇえ!?けぇ!?ちょ、新しすぎたよ!!」


気づけば授業は終わって黒板も綺麗に消されていた。
横では楽しそうに笑っている水谷がいて、あたしはやっと我に返る。



「あ、黒板!!ごめん!!!」


日直の仕事なのに、水谷一人に任せてあたしは何やってんだ!
普通に、いつもどおりにって思っていてもなかなか体が付いてこない。
あたしが謝ると水谷は少し呼吸を整えてからにっこり笑った。


「んーん。大丈夫。それより次、世界史なんだけど・・・・さすがに俺一人じゃきついかも・・・・。」

「・・・あいかわらず貧弱な男め。しょうがないからさんが手を貸してやろう。」

「あいかわらずってひどい!」

「うそうそ!あたしも日直だし、さっさと世界地図と資料取りに行こうか。」



椅子を引いて席を立った。




「具合悪いのにごめんな。」

「はぁー?」


ほこりっぽい資料室の中で、水谷がボソッと言った。
資料を手に取りながらあたしは首をかしげた。


「急に何いってんの。大丈夫だってば。」

「んー・・・いや、うん。」

「ホントに大丈夫だよ。別に、無理してるわけじゃないから。」


半分は嘘で半分はホント。
あたしは彼を見ないで明るく言った。
でも水谷ははっきりしない返事をして、また一言「ごめん」と言う。

「それより地図あった?」

「えっー・・・あー、待って。」

そろそろ辛い。
一緒に居る時間が長ければ長いほど、今日のあたしにはこたえるのに。
さっさと資料室を出たいのに。
あたしは少しいらだっていた。


「まだ?」

「え、あ、もしかして俺待ち?」

「その通り。早くしろー。」

「ご、ごめん。具合ダイジョブ?」

「しつこい!心配しなくていいっていってんじゃんか!」



水谷の頭を軽くはたいてあたしも一緒に地図を探そうとかがんだときだった。





「心配ぐらいさせろって。」



落ち着いた水谷の声に体が強ばった。
彼を見れない。
あたしは「はいはい」と流すふりをして地図に視線を移す。



「・・・・え。」


あたしは目を見開いた。
よく意味がわからなくて混乱する頭。
そこにはあたし達が探していた地図が普通にある。
探す必要もないぐらいに堂々と。


「ちょ、水谷!ここに普通にあるじゃんか!!」


ばっと声を荒げて彼を見ると、いつもとは全く違う真剣な彼の顔があった。
それと同時にチャイムが鳴り響く。
なのに、足に根が張ったみたいにあたしは動けずにいた。



「うん。だからごめん。」



彼の言ってる意味がよくわからない。
でもきっと、何か大事なコトなんだと直感でそう思った。
だからこそ、余計に胸が痛くてざわついて、この場を離れたい。


「い、意味わかんないんだけど・・・つーか!授業始まったから急ごう!これ、つか・・・・」

地図を持ってあたしが立ち上がると同時に掴まれた手首。
少し痛くてぴりぴりする。


「ごめん、次英語。」

「・・・・・・・・。」

「なんかボーっとしてるみたいだったから。」

「・・・・・水、谷・・・・。」




「・・・・・なんか、あった?」





「・・・・・・・・っ!!」





今日二回目の、あたしを揺さぶる言葉。
掴まれている手首がジンジンと熱くなっていく。



お願い。


もうそれ以上、


そんな顔で見ないで。




作り物のあたしが音を立てて剥がれ落ちていきそうになる。
いつもどおりのあたしが、崩れ落ちる。




「だ、から・・・・ちょっと具合わるいだけ・・・・だってば。」


「俺には話したくない?」



少しイライラしたような水谷の声を初めて聞いた。


「朝、会った瞬間からおかしいのなんてすぐわかったよ。でも具合悪いって言ったのはみんないたから話たくないのかなって思ってここまで引っ張ってきた。」


締め切られた窓、黒いカーテンで光をさえぎられていて、暗かった。
その中で今は水谷の声しかしない。



「授業中もなんか、泣きそうな顔してるように見えて、心配した。」




「みず、た・・・・・に・・・・・?」


「たまに合う目も、今日は合わなくて、授業終わってもずっとそのまんまで・・・・・」


「・・・・・。」


「心配するなって方が無理だろ。」







この男は


ひどいと思った。




好きな子がいながら、


こんなあたしを、


こんなに大事にしてくれて。



それの優しい言葉はあたしの胸を傷つける。



こんなんじゃ、
いつまでたっても諦める決心なんてできないよ?
多分、告白して、ふられたって諦められないよ。




あたしは言葉に詰まって俯いた。
こんなとき、なんて言うのが正解なんだろう。
嘘をつきとうす、そんな器用なコトは今のボロボロになったあたしには出来ない。
泣いて好きだということも、勇気のないあたしにはできない。
どうしたらいいのかわからない。
とりあえず時間を置いて、自分に冷静さを取り戻そうと必死になっていた。


「ごめん。」

「えっ。」

「なんか俺余計なことしちゃったみたい。」


ふっと顔を上げると少し寂しそうに笑う水谷がいた。
だらんとあたしの手首を離して俯く彼にあたしの胸は締め付けられた。
唇が勝手に震える。




「ふられた。」

「は!?」



水谷の驚いたような声。


あたしは地図をさっきあったところに戻して、彼に自然に背をむける。


「別に告白したわけじゃないんだけど、なんか好きな人いるってこと聞いてさー・・・・」


「・・・・・・。」


「地味に凹んでみた。うん。それだけだから。ごめんね、心配させちゃったみたいで。」

何も言わない彼を見ないようにしてあたしはゆっくりドアの方へと向かう。
あと少し、頑張れあたし。
泣かないで、もうちょっとだけ耐えろ。
そう思いながらいっぽいっぽ踏みしめる。
ドアの目の前まで来たところで「そろそろ教室戻ろう?」と振り返らずに言った。
水谷がつかつかと近づいてくる音と気配がしてあたしはそっとドアに手をかける。




「・・・・・・・・・・っ!!」





そのままドアを開けて歩き出したいのに、
あたしはそこにたったまま。









それは水谷に後ろから抱きしめられていたから。


自分よりも大きな体は見た目よりもがっしりしていて、あたしを包み込む。
水谷の頭があたしの首元に落ちてきて、あのサラサラの髪の毛がくすぐったい。






、」

「・・・・な、に?」

「苦しいよね、辛いよね。俺、それ凄いわかるかも。」


淡々と吐き出される言葉にあたしも少し俯いた。
この子はホントに優しい子。
やっぱあたしがすきになるだけはあるわ。
その優しさがこんなに痛いものだとは思わなかった。





「ありがと。」

「泣いてもいいよ。」

「泣かないよ。」

「・・・・・告白は、しないの?」




ドキリとした。
抱きしめられているだけでもおかしくなりそうなのに、
自分の足でたっていられることが不思議なくらいあたしは脱力していて、
体がかすかに震えている。




「しないよ。自然と忘れるまで耐える。」

「俺は・・・・・、俺だったら、そんなのやだから、つらくてもいいから、けじめつける。」

「水谷・・・・・。」



水谷は強いね。
そんな水谷の事、きっといつかその子も見てくれるよ。
そしたらいつもの元気な笑顔で、あたしにその子の事話してね。
あたしも頑張って、水谷みたいに強くなれたら・・・・・
心から君の事祝福してあげるよ。



「水谷らしいね。」

「まぁ、男の子ですから。」

「何、だめそうなの?」

「うーん・・・・なんていうか、多分。」

「多分ならまだわかんないじゃんか!大丈夫かもよ?」

「ん、いや、なんていうか、駄目なんだよ。色々。」

「もしふられたら、一緒に慰め会やろうね。そんでもしOKだったらおめでとう会やろうね。」

「・・・・・。」

「・・・・・水谷?」



応答のない水谷。
資料室はじめっとしていて気持ち悪い。
二人しか居ないこの部屋に重たい空気が流れた。
少しだけ、視線を彼に移す。




















「俺、が好きだよ。」

























「・・・・・・・・・・・・・・え、」













「ごめん、こんなときに。」










生気の感じられない声。
さっきよりも腕に力が込められて強い力で抱きしめられる。





「別に弱みっていうか、漬け込むつもりじゃないから。ホントにごめん。」

「・・・・・・・・。」

「でも、俺は、ホントにの事好きだから。」






「ごめん」と小さく言ったあと、スッとはなされた手が重力に逆らわずにだらんと下げられていた。
あたしはくるりと彼に向き直る。
水谷は俯いたまま。




向き合ったまましばらく時が流れる。
今から授業に走っても欠席扱い。





「ごめん。」

「・・・・うん。」

「あたしやっぱふられてなかった。」

「・・・・うん・・・・・・・・・・うん?」




間の抜けた水谷の声、彼は顔をがばっと上げる。
そして目を見開いた。





多分あたしが耳まで真っ赤になってるからだと思う。
口元に手を当てて、一歩踏み込んでポスッと水谷の胸に持たれた。







「え、ぇえ!?・・・ええ!?」





まだ混乱している様子の水谷にあたしはそのまま彼の服の裾を掴んで一呼吸置く。














「あたし、水谷が好き、です。」






「・・・・・っ!!」





「昨日水谷が告白されてるところにたまたま居合わせてたんだ。んで好きな子居るって・・・言ってたから、うん。」


「え、あー・・・あ、う、ん・・・。え・・・・あぁー・・・」


あたしの腰に手を、さっきよりもぎこちなく回す。
まだ彼は混乱した様子で居るようだった。








「水谷?」

「え、っと・・・つまり、コレっても俺を好きってこと、で、いいんだよね?」

「うん。」

「えっと、じゃあ・・・つ、付き合う・・・・?」

「・・・・・・・うん。」





こくりと頷くと、


長いため息と首元にまたもや落ちてくる水谷の顔。
やっぱりさらさらでフアフアな彼の髪はくすぐったい。






「良かった。マジ良かった。」

「あたしも・・・・」

「もう、朝学校いっても笑顔で挨拶出来ないかと思った。」

「あたしも。」

「もう授業中目も合わないかと思った」

「あたしも。」

「もう、ふざけたり、話したり、面と向かってできないかと思った・・・・」

「水谷やっぱめめしいな。」

「うるさいなぁ・・・・」

「でも、さっきはかっこよかったよ。」

「・・・これからいっぱいかっこいいところみせるもん。」

「・・・いいよべつに。」

「ん?」







「かっこ悪いところも女々しいところも好きだから。」






さっきよりももっともっと強い力で抱きしめられたのは、水谷の照れ隠しだと勝手に思うことにする。




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久しぶりの水谷に似非率はとてつもなく高い今日この頃です。
ごめんなさい。


ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。